ちーちゃんのパン工房:今年のお雛様
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2011-03-03 Thu
今年のお雛様
ここ数年、

母と一緒にお雛様めぐりをしている。

昨年は、足助の中馬のお雛様

一昨年は、瀬戸の雛めぐり

今年は、徳川のお雛様

毎年この季節になると徳川美術館では『尾張徳川家の雛まつり』

という特別展があるの。

近くだからずっと行きたいと思っていました。

P1170933.jpg
桃の節句の起原は大変古く

平安時代に遡ります。

昔の日本には五つの節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)があり、

当時この行事は貴族の間では、

それぞれ季節の節目の身のけがれを祓う大切な行事でした。

その中の一つ「上巳(じょうし)の節句」が後に「桃の節句」となります。

平安時代、上巳の節句の日に人々は野山に出て薬草を摘み、

その薬草で体のけがれを祓って健康と厄除けを願いました。

この行事が、後に宮中の紙の着せかえ人形で遊ぶ「ひいな遊び」と融合し、

自分の災厄を代わりに引き受けさせた紙人形を川に流す「流し雛」へと発展してゆきます。

室町時代になるとこの節句は3月3日に定着し

やがて紙の雛ではなく豪華なお雛さまを飾って宮中で盛大にお祝いするようになりました。

江戸時代になり女子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、

全国に広まり、「雛あそび」が節句としての「雛祭り」へと変わったようですね。

武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具の家財のひとつにも

数えられるようにもなったそうですよ。

尾張徳川家では、寛永14年に初代義直が、

娘の京姫の節供の祝儀として雛10対を贈ったとか。

また日本一のお嫁入道具として名高い国宝「初音の調度」の所用者

千代姫(3代将軍家光の娘で尾張2代光友夫人)が7歳の時に、

諸老臣から雛人形が献上されたとか。

当時の江戸城大奥での雛祭りでは、

段を設けず畳の上に毛氈を敷いて雛人形を並べる平飾りだったみたいです。

さらに大奥に仕える者の親戚縁者にあたる人々も、雛飾りの参観を許されており

この行事は「雛拝見(ひなはいけん)」とよばれ、幕末まで続いたようです。

13代将軍家定の頃になると、

大奥では、将軍の夫人である御台所のお雛さまは、

対面所、休息間をはじめとする3ヶ所に飾られていたそうです。

飾り付けも平飾りから段飾りへと変化を遂げていったようです。

江戸時代後期には「有職雛」とよばれる宮中の雅びな装束を正確に再現したものが現れ、

さらに今日の雛人形につながる「古今雛」が現れ

江戸末期から明治にかけて雛飾りは2人だけの内裏人形から、

嫁入り道具や台所の再現、内裏人形につき従う従者人形たちや小道具、

御殿や檀飾りなど急速にセットが増え、スケールも大きくなっていったようですね。

P1170936.jpg


徳川のお姫様のお雛様は

雛道具にも全て葵の紋が描かれており

お雛様も素晴らしく

気品のあるお顔立ちでした。

P1170932.jpg

さて、来年は何処に行こうかなぁ??

先日家庭画報に近江のお雛様めぐりがあったっけ・・・

高山の雛祭りもいいなぁ~♪




  
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ワーゲンバス

街を走る空想パン屋さんは、ただいま閉店中。。。

息子の友達が

数人で菓子パンを買って

お弁当の後に皆と交換して食べているらしい。

一度に何種かの菓子パンが食べれるのがいいらしい。

そろそろ惣菜パンやチョコパンなど

作って欲しいと催促されているよう(苦笑)

次のお休みには、絶対作ってあげよう!!




では、またのお越しをお待ちしています






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